「あー、かゆいな」松尾さんはおもむろにグレーのシャツの右袖をたくしあげて、二の腕を掻きはじめました。「昨日、ロケだったんだよね」松尾さんの二の腕はすでに赤くなっていました。「ダニかな・・・・・・」松尾さんは掻いたところをしきりに覗き込んでいました。嗚呼、見たい。松尾さんのダニの食い跡が見たい。私は切に思いました。しかし、まだ担当として、先ほどはじめてお会いしたばかりなのです。しかも、周りには宮崎吐夢さんや長坂まき子さんといった大人計画の方々がいらっしゃるのです。どうして、敬愛する松尾さんのダニの食い跡を私などが図々しく見ることができましょうか。けれども、私は誘惑に弱い人間です。「大丈夫ですか」などと、ありきたりの方便を駆使し、松尾さんの二の腕にそっと顔をにじり寄せたのです。しばしの沈黙。眼前の赤い斑点。嗚呼、なんて、やさしく寛大な方なのでしょう。松尾さんは私にダニの食い跡の謁見を許したのです(ひょっとして、これは松尾部入部の裏儀式ではないでしょうか)。
 この松尾流やさしさ加減が、発揮されているのが本書だといえます。詳細な内容は元本編集の兵庫さんの項に譲ります。たびたび加筆・改稿でお話をさせていただいたのですが、表現についての真摯さをひしひしと感じました。柔軟でありつつも、「物書き」(本人談)としての確たる矜持が本書にあらわされています。文庫版まえがきに松尾さんは本書を「突飛探しの旅の記録」と記しております。数枚のまえがき原稿で、作品全体をまとまあげる怪腕ぶりが堪能できます。解説は山田スイッチさんです。第1回ぴあコラム大賞で松尾さんが激賞した作家で、松尾さんへの思慕が渦巻いた内容になっています。装丁は『大人失格』に続いて鈴木成一さん。また、松尾さんの似顔絵(切り絵・佐藤史恵さん)を使用した書店POPが好評で、『編集会議』4月号に掲載されました。大人計画のみなさんをはじめ、多くの方々の力によって、作り上げることができた一冊です。ぜひ、本書で松尾さんのやさしさにふれてください。
 余談ですが、はじめてお会いするとき、「スター帽子店」の帽子を手土産に渡しました。
この店は映画「チキン・ハート」で「丸帽子店」(松尾さんが店番役)としてロケに使われた店です。店主に見立ててもらった帽子だと伝えると、「いいねぇ」とさりげなく被ってくれました。その姿は思わずウットリするものでした。
2004.3.3
(光文社・知恵の森文庫編集部/檀將治)